第27回日本禁煙推進医師歯科医師連盟学術総会(平成30年2月18日、横浜市開港記念会館)
禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議特別企画展示「中山脩郎先生と共に~90年物語~」
(担当: 水嶋春朔、高見沢重隆)
中山脩郎(なかやまみちお)先生年表
平成29(2017)年4月29日 逝去(享年90歳)
中山医院院長
禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議会長
神奈川県内科医学会名誉会長、横浜内科学会名誉会長
【診療活動】
昭和26年 | 東京慈恵会医科大学卒業 |
昭和27年 | 第12回医師国家試験合格 |
昭和27年 | 東京慈恵会医科大学第1内科入局 |
昭和32年 | 学位授与「抗生剤の臟器内濃度に関する研究」 |
昭和33年 | 海上自衛隊横須賀地区病院内科医長 |
昭和38年 | 帝人三原病院内科医長 |
昭和41年 | 広島鉄道病院第一内科医長 |
昭和44年 | 北品川総合病院放射線部長 |
昭和45年 | 中山医院(横浜市港南区芹が谷)開業(内科、胃腸科) |
【学校医、その他】
昭和48年~ 横浜市立芹が谷南小学校校医
その他に横浜市夜間急病センターの出動医、各種企業の産業医、健診医活動も晩年まで続けられました。
【カトリック医師会】
平成18年 | 国際ボランティア活動ベツレヘム難民キャンプを中心にイスラエル訪問 |
平成26年~28年 | 「いのちの電話」活動 |
【学会活動】
平成7~11年 | 横浜内科学会会長 |
平成11~20年 | 神奈川県内科医学会会長 |
平成21年~ | 神奈川県内科医学会名誉会長 |
平成27年~ | 横浜内科学会名誉会長 |
神奈川県内科医学会においては以下の委員会を立ち上げ、自ら先頭に立って活動されました。特に晩年は、禁煙活動と高齢社会・死に関する知識の普及活動を積極的に推進されました。
- 高血圧神奈川スタディ委員会(平成12年~)
- 神奈川糖尿病対策委員会(平成12年~)
- 神奈川肝炎対策委員会(平成14年~)
- 神奈川認知症対策委員会(平成14年~)
- 神奈川禁煙・分煙推進委員会(平成15年~)
- ジェネリック問題対策委員会(平成19年~)
- シニア委員会(のちに「健康長寿社会を目指す委員会」に改名)(平成24年~)
【禁煙活動】
平成11年 | 禁煙・分煙を推進する神奈川会議副会長(五島雄一郎会長) |
平成15年 | 同会長(のちに「禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議」に改名) |
港南禁煙・分煙をすすめる会代表 | |
平成20年 | 第17回日本禁煙推進医師歯科医師連盟学術総会会長 |
平成30年 | 第27回日本禁煙推進医師歯科医師連盟学術総会会長 (学術総会準備途上平成29年4月29日ご逝去により長谷章先生が会長就任) |
平成11年(1999)11月5日
禁煙、分煙活動を推進する神奈川会議設立
初代 五島雄一郎会長
やるべきことが
決まったならば
執念をもって
とことんまで押しつめよ
問題は能力の限界ではなく、
執念の欠如である
- 土光敏夫
我が人生の恩師、中山脩郎先生
自分に厳しく人に優しい医師。大きく包み込んで生きる姿の背中を見せてくださりました。禁煙のアイデアが思い浮かぶと夜中でも携帯電話に「絵文字」付きのメールが!思い出に残る言葉「医師は通常の診療だけではその存在価値が無い。社会に出て行き活動することこそ、その存在価値」「自分と同じ年代と付き合うのもよいが、できるだけ若い人とお付き合いすること(医学部の学生との飲み会)」「禁煙指導のマニュアルは平易で理解しやすい言葉で!実地医家が親しみやすいものを」「吸わない世代を育てることが重要。防煙教育の徹底」「学校の教諭、PTAに常に目を向けること」「企業における産業医の役割は重要。健康寿命延伸のために禁煙活動」「健康政策ができる政治家を応援すること」「行政との繋がりを重視して活動すること」「死ぬことは恐くない。この世とあの世は繋がっている。PPKでいこう!」感謝!!
長谷 章
(禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議理事
神奈川県内科医学会禁煙推進委員会委員長)
中山脩郎先生へ
先生の教えのとおり、第27回禁煙推進医師歯科医師連盟学術総会を10年前と同じ横浜市開港記念会館で行うために、長谷先生、加濃先生、水嶋先生らを中心に、準備を進めてきました。先生がいらっしゃればまた違う形になったのかもしれませんが、遺された有志が実行委員会で和気あいあい議論しながら当日を迎えることができました。先生は、いつも熱心で、動きも素早く、最後の最後までお元気で活動されていました。「禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議」も、中山先生という強烈なリーダーを失いましたが、今後とも禁煙・受動喫煙防止に向けて、皆で力をあわせて進めていきたいと思っています。是非、天国から見守っていてください。
中沢 明紀(禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議会長代行)
行動の人中山脩郎先生
私は2014(平成26)年3月9日に第4回日本小児禁煙研究会学術集会を会長として横浜で開催させていただきました。此の時、「禁煙、分煙活動を推進する神奈川会議」の会長である中山脩郎先生には多大なご助言とご教示を頂いてきました。学術集会はウィリング横浜(上大岡)で開催しました。事前に中山先生そして事務局としてご協力頂いた水嶋春朔先生らと会場の視察をしました。何と、会場階の奥に喫煙所を発見!早速、中山先生に促されて神奈川県タバコ対策室にクレームを入れ、そして後日、中山先生とともに横浜市保健所長に直接面談をしました。開催当日は他用でご出席が叶わず、ご供覧の祝電をいただきました。
『貴会のますますのご発展を祈念しつつ、七年以内に未成年喫煙者ゼロを目標に、ともに頑張りましょう。禁煙、分煙活動を推進する神奈川会議会長中山脩郎』
中山先生の行動力は凄まじく、10年前の日本禁煙医師歯科医師連盟総会の横浜開催にあたって、当時の松沢成文県知事との面会前に、先生は持病の腰痛で起立位が保てない状況で、県庁の廊下でいきなり床に足を投げ出して座られ、打ち合わせをされていました。しかもその数日後にはテルアビブの難民キャンプに医療奉仕に向かわれるというお話をされていました。当時でも80歳を越える高齢でしたのでびっくりでした。常に私は煽られっぱなしでした。まだまだ若造の私達はもっと頑張らねばと思っております。
藤原 芳人(禁煙、受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議理事)
仕事は熱く、私事はあたたかい中山脩郎先生
中山先生から時々、突然お電話をいただき、きつい仕事を仰せつかったこともありました。昨年4月26日、神奈川会議の理事会終了後、お声がかかり、また仕事か!と思い、おそばに行ってみると、「君はこれを持っているのか」と、10年以上前の、私が取材された新聞記事をくださいました。それが中山先生とお会いした最期となりました。私が転職するたびに、どうしたのかとご心配くださいました。仕事は熱く、私事はあたたかい方でした。
原田 久(禁煙、受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議理事)
中山脩郎先生のこと
神奈川会議の事務局長をお引き受けして、中山先生とのお付き合いが深くなりました。とにかくアクティブな先生でした。
打合せをしていても、すぐに関係の方に携帯電話を入れ、相談、依頼等間髪をいれずに結論を求めて動かれました。
私が神奈川県予防医学協会を非常勤になって、自宅にいることが多くなったのですが、頻繁に携帯電話やFAXでやり取りをして、横浜の事務所にいるのと同じ状態での連携を取らせていただきました。
お亡くなりになる昨年4月最終週の水曜日(26日)には平成29年度第1回(通算66回)神奈川会議理事会、そして金曜日(28日)にも今回の第27回日本禁煙推進医師歯科医師連盟学術総会の打ち合わせを行い、「ではまた連休明けに打合せをしよう」とおっしゃって、普段と全く変わりなくお元気に協会の事務所を出ていかれました。その24時間後(29日)にお亡くなりになられたことは、今でも全く信じられない思いです。
中山先生と一緒に仕事をさせていただき、人生の師として計り知れない多くのことを教えていただきました。本当にありがとうございました。
栗原 博(禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議事務局長)
神奈川会議医学部学生交流会
2014年12月19日
慈愛に満ちた大人~中山脩郎先生はいつも見守ってくださる
「禁煙・受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議」での議事進行は、出席者全員を見回して、様々な意見を引き出す名人でした。いろいろな人脈の糸を丁寧に編んで、束ねて素晴らしい出会いをたくさんいただきました。若い学生との交流を愛され、「禁煙学生の会」(医学生とだべる交流会)はいつしますかといつも問いかけられ、メールアドレスkonoyalo.123からも、携帯電話からも、思いついたらすぐにご連絡をいただきました。ハイボールを片手にだべりを楽しんでおられた地蔵菩薩のような中山脩郎先生。慈愛に満ちた温かいお言葉で、人生の厳しさ、困難を乗り越える力を分けてくださいました。いつも見守ってくださる中山先生は深い胸の奥にいらっしゃいます。これからも中山脩郎先生と共に生きていきます。
水嶋 春朔(禁煙、受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議理事)
健康長寿社会を目指す委員会会食
2017年5月1日
後列左より 水嶋春朔、山岡みちよ、行天良雄、加行尚、池内龍太郎神職、
高見沢重隆、小野容明、井川裕覚住職、永井一毅、久保田毅
前列左より 小田武彦神父、(中山脩郎先生席)、正山堯(敬称略)
ほほ笑み
先生と私とのお付き合いは古く、私が平成7年、県内科医学会の常任幹事になった年からご逝去された平成29年4月29日迄です。特に親しくなりましたのは平成15年横浜開催の日本臨床内科医学会の実行委員長の時からです。記憶に残るのは先生の鬼気迫るリーダーシップと決断力と10年先を見据えた委員会展開(禁煙、認知症、生活習慣病)の突破のお顔であり、今一つは、共に名誉会長になった27年以降各委員会での「妻とこれから晩酌しながら食事します」と何とも言えない柔和な笑みを浮かべて中途退席されていかれたお顔は小生の脳裏に終生刻まれております。
中 佳一
(神奈川県内科医学会 前会長
神奈川県内科医学会「健康長寿社会を目指す委員会」委員)
神奈川県内科医学会「健康長寿社会を目指す委員会」での思い出
中山先生は日本の超高齢社会に向けて、「死の受容」のあり方を医療・介護関係者だけではなく社会一般の方々にも考えてもらいたいと考え、当委員会を立ち上げられた。
この委員会における活動の一つとして、「宗教者との懇話会」を立ち上げようとされていた。その記念すべき第一回目はくしくも先生が亡くなられた翌々日、平成29年5月1日に開催された。当日は、中央の席に中山先生がいらっしゃるものとして、「死」を超えた繋がりで会は進められた。
高見沢 重隆
(神奈川県内科医学会健康長寿社会を目指す委員会副委員長
横浜内科学会副会長
禁煙、受動喫煙防止活動を推進する神奈川会議理事)
中山脩郎先生と共に~90年物語~
「宮川先生、足りないものがあります。今すぐ、探してください」
電話口からザラザラとした雑音に交じって、中山先生の声が聞こえた。
「心電図です。心電図。電源がないので、電池式のものを」
「中山先生、どこにいらっしゃるのですか」
「サラエボ、今、サラエボです」
時は1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の直後であった。あらゆる者が虐殺や強制収容あるいは強姦の対象とされていた内戦の後であった。アウシュヴィッツの強制収容所を必ず見に行くようにと、常に話されていた先生にとっては、当然の行動だったのかもしれない。
その後さらに驚かされることが起こる。
「資金援助が必要なのです。パレスチナの人たちが困っているのです」
クリスチャンであった中山先生からの口から出た発言だったので驚いた。
「パレスチナの人たちが作った作品を売りたいのですが、講演会場の横で売ることは出来ないだろうか。考えてください」
中山先生の頭の中には、民族の壁はなかった。困っている人がいれば寄り添い、手を差し伸べることに躊躇はしなかった。実際に、パレスチナの現地に足を運び、聴診器一本で現地の人たちの中に紛れて行動した。
わたしは忘れない。「できる限りのことをしなさい」と言って、私の手を包み込むように握ってくれた先生の手を。そして、その力強い声を。
神奈川県内科医学会会長 宮川 政昭 先生
中山脩郎先生追悼文
16年前の早春の頃でございます。私の肺がん診療の師より突然入電があり、明日の診療後に崎陽軒の会議室に来るよう指示がありました。何事かと思案しながら速足で息を弾ませ、約束の10分前に到着し、ドアをノックして入室致しました。正面に中山脩郎先生、右隣に小田切繁樹先生、左隣に故南澤康雄先生、手前に渡部古志郎先生が着座されており、残る椅子に着席を促されました。「さて小野先生、次年度から呼吸器疾患の知識をふやす会の世話人をお願いしたいのだが異存はありますか。大丈夫ですね。大丈夫ですね。」これが中山先生とのファーストコンタクトでした。以来今年の春まで変わらぬ薫陶を受けることが出来ました。私にとり最高の名誉であります。ここに謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。
小野 容明(横浜市医師会横浜内科学会会長)
中山脩郎先生を悼む
人生の最後まで全力で、診療や各種活動に、自ら先頭に立って邁進された姿が尊いと思います。亡くなる前日も横浜内科学会幹事会で、後輩の私たちにメッセージを送ってくださいました。90歳を過ぎても勉強会にマメに通って来られました。豊富な経験からズバッと直言され、後輩たちの進まない議論、遅い行動を歯がゆく思う毎日であったことと思います。
ピンピンコロリのお手本でした。私もかくありたいと思います。
ご冥福をお祈りします。
長谷川 修
(横浜内科学会副会長
横浜市立大学名誉教授)
自ら省みて直くんば、千万人と雖も吾行かん
老若男女を愛し、90年の命を燃やし尽くすまで、啓発活動を根気強く継続。人として医師として、先生の姿勢に心の琴線を弾かれ多くの仲間が集まりました。大学や医師会を超えて、究極のパワーになりうる一般市民による会の灯もともされました。もののふの矜持を感じ取った我々の世代が、この灯を消すことがあってはならない。
こんこんと熱いまなざしで喫煙の害を説かれる。ユーモアを交えて包み込むように、その視線の先は、時空を超えて健康で元気な社会を信じてやまない。
田口 博基
(港南禁煙・分煙をすすめる会会長
たぐち脳神経クリニック院長)
故中山脩郎先生を偲んで
中山先生は、カトリック医師会のご紹介で、2014年より2016年12月24日まで、全6回ご担当いただきました。
土曜医療相談の電話担当にいらっしゃる時は、いつもエネルギーに満ちた力強いお声で、「相談者が大変な状況におられるなあ」、「勉強になります」、「他の先生のご都合が悪いときは、何回でもきますよ。」と声をかけてくださいました。
ひとりひとりの相談者に深い思いやりと愛情をもって誠実に真摯に担当をしてくださいました。時には、「映画になるだいぶ前から、遠藤周作の「沈黙」は読んだほうがいい。キリシタン弾圧の雲仙には一度行ったほうがいい」とスタッフに薦めてくださったり、社会問題など多岐に亘り幅広いご見識で、気さくにお話しくださったこと、今のことのように思い起こされます。
長い間、いのちの電話の活動にご理解とご支援を賜り、心から感謝申し上げます。いのちの電話の活動を深くご理解くださり、精力的に関わってくださった故中山脩郎先生のお志を受け継ぎ、ひとりでも多くの相談者の悩みに耳を傾けてまいります。
中山先生も天国でお見守りくださっていることを信じております。
植村 みどり(社会福祉法人いのちの電話事務局長)
中山脩郎先生の思い出
先生は日本カトリック医師会横浜支部の先生でしたが、東京支部の例会によく参加して下さり、貴重なご意見をいただきました。禁煙問題には大変熱心でご講演をいただいたこともあります。
平成18年ベツレヘム難民キャンプを中心に、日本国際ボランティアの手伝いでイスラエルに入国する際、カトリック医師会の証明書をお願いされたこともあります。多方面に活躍された先生でした。90歳を過ぎて「何、大丈夫だよと」おっしゃって車で運転しておいでになり、会員を驚かせていました。ご冥福をお祈りいたします。
和田 恵美子 先生(カトリック医師会東京支部支部長)